再発防止のため抗がん剤治療を希望した
ガンマナイフの治療を終えて、元々通院していたがん専門病院に戻りました。
今後は抗がん剤などの内科的治療がメインになるため、戻ったタイミングで外科から内科にうつりました。
てっきり抗がん剤治療が始まるかと思いきや、初めて会った内科医からは「今の状況的にも、今後は本当に時間を大事にしてください」と告げられるのみでした。
どうやら主治医としては、ガンマナイフ治療後の病変がない中、すぐに抗がん剤治療をするタイミングではないという判断だったようです。
主治医の見立てでは私のがんが再発する可能性は極めて高いが、病変がない中で抗がん剤治療をやっても意味がないとのこと。抗がん剤治療をやるのは次に再発したときだと言われました。
それを聞いた私は、再発する可能性が高いのであれば、予防的に抗がん剤治療をやってもいいのでは?と思い、積極的治療を希望しました。すぐにでも抗がん剤治療を始めたいと伝えるも、主治医は難色を示したままです。今後の治療方針について、主治医とは全く意見が一致しませんでした。
小さな子供のことを考え「生きなければならない」思いがあった
主治医には、自由診療として行われている免疫療法(国立がん研究センターがん情報サイト「免疫療法 もっと知りたい人へ」)を受けることについても相談してみました。
しかし、もしその治療を選択するのであれば、この病院では面倒を見切れないとも言われてしまい、さらには、それにお金を使うよりも、家族と旅行に行くなど、もっと有意義な使い方があるのでは?といった話もされました。
ここまで治療を受けることにこだわったのは、子供がまだ小さかったからです。自分がいなくなったら、妻と子はこの先どうなるんだ?という思いが一番強かった。だから絶対に生きなければならないと考えていましたね。
自分のやりたい治療をするため転院
2013年11月、セカンドオピニオンを受けました。
セカンドオピニオン先である都内の大学病院へ行き、私が抗がん剤治療を受けたいと伝えたところ、今度は「うん。いいんじゃない?うちで面倒見ますよ」とあっさり医師が快諾。すぐに転院が決まりました。
転院への不安は特になかったです。それよりも、ここでなら自分がやりたい治療ができるという期待の方が強かった。もし仮に治療の効果があまり良いものではなかったとしても、あの時ああしてれば……とは思いたくなかったんです。この転院は、自分を貫き通した決断でした。
転院を決めてからは、お世話になったがん専門病院に戻り、紹介状を書いてもらいました。セカンドオピニオンを受けてから2週間ほどでの転院だったので、特に時間のロスもなくスムーズだったと思います。
母に勧められ転院先とは違うクリニックに。今の自分なら受けない治療法だった
少しだけ転院後に受けた自由診療で行われる免疫療法の話をします。
転院先の病院で、自由診療で行われる免疫療法を受けることについて相談をしました。特に否定も肯定もなく、副作用がないならいいんじゃないですか?といった感じで、抗がん剤治療とは別に、違うクリニックに通うことも認めていただきました。
そして、転院してすぐの2014年初め〜2015年頃まで、転院先とは違う、怪しげなクリニックでNK細胞療法を受けました。
治療方法は、自分の血を6回抜いて培養して戻すというもの。費用がかなり高額で1クール200万円、私はこれを3クールほど行いました。もともと母が勧めてきたものだったのですが、費用も母が負担してくれました。しかし、さすがにこれ以上はお金がもたないと、金額的な面で3クールに留まりました。
効果の面で言うと、私の場合は意味はなかったかなと思います。
一方で、自由診療で行われる免疫療法のような治療法を否定するつもりもありません。優しい反面厳しく指導してくださる転院先の主治医とは違い、このとき治療を受けたクリニックの先生は楽観的なことしか口にしませんでした。それが真実かどうかは置いておいて、このとき、個人的に励まされたのも事実です。
ただ、もし今、私と同じようにがんに罹患し、そういう治療を受けるか迷っている方がいれば「あまり意味はないですよ」と言うと思います。もちろん、この治療を受けるんだ!という強い決意があるなら止めません。もちろん個人の自由です。
お金もかかります。余裕資金でやるのであれば問題ないかもしれませんが、仮に、身内が借金をしてまでやろうとしていたら、全力で止めると思います。今冷静に考えると、自分ならそういう治療法は受けないなと思います。
会社の健康診断で肺に影が見つかったことがきっかけで肺がんが判明。転移とステージⅣが判明したものの、ガンマナイフなどの治療を経て復職。がん罹患後に社労士資格を取得し、2020年には社労士事務所も設立