自分で探した専門クリニックで検査。甲状腺がんと告知を受ける
2010年の検査では様子見となりましたが、その後も体調不良が続いていました。
何か大きな病気かもしれないという疑いは、なくなるどころか、ますます強くなっていました。
2012年にクリニックでも寒気や悪寒がひどく、一向に治らないことを相談してみましたが、特に甲状腺の異常などを指摘されることはありませんでした。
ですが、過去に甲状腺に影のようなものもあったことから、自分としては、この異常な寒気や悪寒は甲状腺の問題ではないかと感じていました。そこで、甲状腺専門の医師に診てもらおうと決意。
2012年2月、インターネットで調べて見つけた甲状腺専門のクリニックを訪ねました。このクリニックの先生は、のちに私の主治医となります。
このクリニックは、住んでいる場所から車で2時間ほどかかる場所でした。当時は体力も落ちており、休憩をはさみつつ3時間ほどかけて運転して行きました。
検査は複数回に分けて行いました。この頃、「甲状腺がんではないか」という思いが3、4割ほどありました。ただ、医師に直接「自分はがんだと思う」と伝えるのもはばかられたため、私の身体に起きている症状のみを伝え、必要な検査をしてもらいました。
2度目の細胞診でがんが見つかる
超音波検査(エコー)では、甲状腺に2つの影があると指摘されました。その後、細胞診も行い、がんが見つかりました。
2012年4月上旬、一人で告知を受けました。がんとわかり、当然不安な気持ちもありました。特に、私に何かあったら、当時脳梗塞を患い施設に入っていた父はどうなってしまうのかが心配でした。
ですが、甲状腺がんとわかったことで、周囲の人に私がしんどい理由を説明できる。自分自身も、しんどい理由ががんであり、治療で治すことができるとわかり、ようやく出口が見えたような気がしました。
がんの告知後、主治医から携帯電話の番号が書かれた名刺を渡されました。「身体の異変など何かあったら、いつでも電話してください」と言われ、これは大きな心の支えになりました。
がんであることを伝えると、やさしく受け止めてくれた新しい職場
告知の3日後、新しい職場での仕事がスタートしました。高校の書道の非常勤講師の仕事です。
私は文学部の書道科を卒業し、書道の教員免許を持っていました。自ら教育委員会に履歴書を持参し、採用が決まった仕事です。書道の非常勤講師として働けるチャンスはなかなかありません。
せっかくつかんだチャンスをふいにすることになるのでは──。そう思うと、勤務初日に校長先生にがんのことを伝えることはできませんでした。当初、同僚の中では、年齢が一つ上で、書道部の顧問をしている同僚にだけ伝えました。
しかし、治療のことを考えると、がんのことを伝えないまま働き続けるのも難しいと感じていました。そこで勤務開始から2週間後、意を決して校長先生に伝えることにしました。
副校長先生に声をかけたところ校長先生を呼んでくださり、3人だけの席を設けていただきました。がんであると切り出したところ、ほかにがんに罹患している同僚が2人勤務中だと告げられました。私のがんについても、特に驚かれることもありませんでした。
書道の専門教員は私だけだったので、赴任直後に新しい職場を離れることには申し訳ない気持ちがありました。しかし、すでにがんに罹患した同僚と働くことに慣れているのか、ほかの先生方はとてもやさしく、大丈夫だと受け止めてくださりとてもありがたかったです。
27歳の頃から倦怠感などに悩まされ、30歳の時に甲状腺がんが発覚。がんの手術、転職、結婚、父の介護、自身の出産といったライフイベントが重なる。2児の母。(インタビュー・掲載時の情報です)