※本記事は、個人の体験談です。患者さんの体験談をもとに記事にしており、本文中に具体的な病状や治療法なども出てきますが、あくまでも個人の例であり、病状や、治療効果は、個人個人で差がありますので、すべての患者さんへ適応できる状況、効果を示すものではないことを了承ください。
当初、職場には2週間の休みを申し出ていましたが、体力が回復せずさらにもう2週間休み、計約1ヶ月の休職を経て職場に復帰しました。復帰したあとも、職場には杖をついて通勤しました。この頃は疲れがひどく、一歩を踏み出す気力が足りず、倒れ込んでしまいそうで杖の携帯が欠かせませんでした。
職場でも杖をついていましたが、生徒には余計な心配をかけたくないという思いがありました。そのため、生徒が教室にいる授業中を見計らい、時間をかけて書道の授業で使う教室がある4階まで移動。極力杖をついている姿を見せないようにしていました。
授業をすると極度の疲労に襲われ、テタニー症状(低カルシウム血症による痛みを伴った強直性の筋収縮)が出ることもありました。書道に使う筆を洗う体力すらなく、生徒にお願いすることも。
保健室の先生に相談したところ、そうしたときは保健室のベッドを使わせてくれることに。しかし、保健室が使ない時もあり、そんな時は職員室にある人目につかないソファで横になっていました。ほかにもがんに罹患した同僚がいたためか、職場が対応に慣れている雰囲気があり、さまざまな配慮や、私の状況を受け入れてくれる環境がとてもありがたかったです。
不安な時はSNSを利用。甲状腺がんコミュニティの声に励まされる
手術から復職まで、不安がなかったと言えばうそになります。手術はもちろん心配でしたし、合併症や後遺症も強かったため、万が一私に何かあった場合、脳梗塞を患い施設で暮らす父を一人残すことになるという不安がありました。
そうした不安な気持ちは、主にインターネットで解消していました。SNSの甲状腺がんのコミュニティで、手術経験者の声を読んで励まされたこともあります。
手術後半年、ようやく父にがんであると明かす
甲状腺がんであることを伝えていなかった父に対しては、手術が終わって半年後、ようやく言うことができました。この頃父は頻繁性脳梗塞を患っており、些細なことでもすぐに脳梗塞を起こしていました。父の身体に影響ないよう、治療が落ち着き元気になった姿を見せて、安心させてから話したかったんです。
父は特に驚く様子はありませんでした。「うん、うん。うん、うん」と淡々と聞いていました。 子どもの頃から病気がちで心配をかけてきました。これ以上心配させたくなかったので、手術後落ち着いたタイミングで伝えたのはよかったなと振り返ると思います。