がん告知の翌月、結婚式を決行した理由
がん告知の翌月である2012年5月には、私自身の結婚式が控えていました。私の希望で決行はしましたが、夫が「結婚式はしてもしなくても、好きなようにしていいよ」と言ってくれて、その気遣いがありがたかったです。
父に早く花嫁姿を見せたかった
結婚式を予定通り行いたかった理由は、夫とお金を貯めて準備をし、ようやくこぎつけた式だったということもありますが、一番の理由は父の容態です。
施設にいた父は、脳梗塞の後遺症の症状が出ていました。当時は落ち着いていましたが、調子は万全ではありません。そんな父に早く花嫁姿を見せたかったんです。
父が参列しやすいよう、会場は私の地元で行うなど、夫の実家にも協力してもらいました。父優先で式の準備を進めさせてもらっていただけに、中止はできないという気持ちもありました。
私の甲状腺がんの治療は手術で行うことになっており、主治医はすぐにでもできると言ってくれていました。ですが、結婚式ではデコルテが出るタイプのドレスを着ることにしていたため、術後だと手術創が気になるのではないかと考え、式後に行うことにしました。
つらかった、がんであることを父には伏せる日々
父の体調に悪影響があってはと思い、告知後も私ががんであると、父には伝えていませんでした。
2000年、私が19歳の頃に母が亡くなり、それからは父ひとり子ひとり、二人三脚で生きてきました。隠し事などなく、何でも話し合ってきた親子です。
そんな関係なのに、がんであることを伏せ続けるのは本当につらかったです。
新婚旅行で体力が落ちていることを改めて自覚
結婚式のあとは、予定どおり新婚旅行にも行きました。人気テーマパークを訪れ、併設のホテルに宿泊。
学生の頃、そのテーマパークには「マニア」を自称できるほど足繁く通い、朝から晩まで目一杯楽しんでいました。
ところが、新婚旅行で訪れた際は体力がもたず、3時間ほどで夫に頼んでホテルへ戻ることに。体力が落ちていると改めて実感した出来事でした。
27歳の頃から倦怠感などに悩まされ、30歳の時に甲状腺がんが発覚。がんの手術、転職、結婚、父の介護、自身の出産といったライフイベントが重なる。2児の母。(インタビュー・掲載時の情報です)