痛みに涙することも。主治医は優しく寄り添ってくれた
抗がん剤治療がスタート。予想以上の副作用に悩まされる
最初に検査をした病院から転院先の病院にデータを引き継いでもらい、術前化学療法、抗がん剤でがんを小さくするところから治療がスタート。
抗がん剤治療は全部で半年間ほど。初回の投与のみ副作用や安全性を確認するために入院しました。
副作用については、1クール目から吐き気が出始め、治療が進むにつれ徐々に症状は強くなっていきました。主治医からは「副作用を我慢することはないし、ちょっとでも薬が合わないと感じたら教えて」と言われていたので、副作用については訴えやすかったです。実際に少しでも楽になるようにと薬の出し方などを色々工夫してもらい非常に助かりました。
最初の4クールを終えた後は、違う種類の抗がん剤治療がスタート。副作用や安全性を確認するために再度入院しました。その薬は比較的新しいものでしたが私の体には合わず、強い副作用に苦しみました。入院3日目くらいまでは問題なかったのですが、退院した4日目に、体が動かせなくなってしまうほど、全身の骨や関節が痛み出しました。副作用については事前に聞いていたものの、これほどの痛みが出ることは想像もしていませんでした。
副作用について主治医と相談。不調を我慢せずに伝えるようにした
2クール目、1回目の投与はなんとか我慢できましたが、2回目の投与では副作用がさらに強く出てしまい、39〜40度の高熱に加えて、痛みで歩くことさえできず…。あまりの辛さに抗がん剤をやめたいと主治医に訴えました。
辛い副作用に耐え切れず主治医の前で涙を流してしまいました。すると目の前の主治医は優しく「そっかそっか、うんうん、頑張らなくてもいいよ、薬をかえようね。」と私に声をかけて下さったんです。内心「もっと頑張れ!」と言われるのではないかと思い今まで我慢していたので、もっと早く言えばよかったなと少し拍子抜けしました。それからは我慢せずに不調がある時は伝えるようにしました。なんとか抗がん剤治療を乗り切りました。
手足の痺れ。通院に苦労した
後半の抗がん剤の副作用で出た体の痺れは、8年経った今でも足先に残っています。言葉で説明するのは難しいのですが、足先が常にビリビリしていて皮膚感覚がないんです。今でこそ日常生活に支障はありませんが、一番症状がひどいときは、足の裏と手足の指に痺れがあり、歩く度、何かに触れる度にピリッとした痛みを感じていました。ですからいつも手袋を着用、携帯電話も触れないほどで、当時はタッチペンを使っていましたね。
抗がん剤治療の後半は毎週病院に通っていましたが、足の裏や関節に痛みがあり、階段の上り下りが辛かったです。ですから階段を下りる際はいつも後ろ向き。そのときばかりは、よく駅で後ろ向きに階段を下りているおばあちゃんの気持ちが理解できましたね。
味覚に変化。食事の好みが2日サイクルで変わる
抗がん剤治療の最中に食事の好みが2日ぐらいのサイクルで変わったことにはびっくりしました。昨日食べられていたものが、突然食べられなくなったり、お水の匂いがダメになって、お水を飲めなくなったり。その時は水を飲むとまるで鉛でも飲んでいるかのような感覚がありました。治療が終わった後も、その味を覚えていて、3年ぐらいは水が飲めませんでした。
代わりにそれまでは全く好きではなかったコーラが美味しく感じるように。主人は毎日のように「何かいるものある?」と聞いてくれたのですが、私はいつもコーラをお願いしていましたね。でも、そのコーラもすぐに違和感を感じるようになってしまったんです。何も言わなくても主人がコーラを買ってきてくれた時に、「今日はりんごジュースが飲みたい気分やったのに〜!」と言ったこともあります。味覚がコロコロ変わり、毎日飲みたいものが変わるので、主人も大変だったと思います。
食事についても匂いもダメ、見るのもダメ、というときもありました。主治医からは、「気持ち悪くなったらそのことを忘れて、違うことを考えるといい」と教えてもらったので、気持ち悪くなると真夜中であろうと犬の散歩をして気を紛らわせていました。犬がとても迷惑そうな顔をしていた記憶があります。あとは引っ越したばかりで家の近くに何があるかもわからなかったので、気分転換にドライブを楽しんでいました。
仕事についても最初は復職予定でしたが、抗がん剤の副作用が辛かったこともあり、治療をしながら働く気にはとてもなれませんでした。仕事について主人に相談すると、「体を一番に考えて負担がないようにしばらくのんびり過ごしたらいいよ」と言ってくれたので、その言葉に甘えて会社を退職することにしました。
大阪生まれ大阪育ち、生粋の大阪人。縁あってタイへ渡り起業。12年間のタイ生活を経て、結婚を機に日本へ帰国。帰国直後に乳がんが発覚。明るい性格と強い意志で闘病生活を乗り越える。現在は、闘病中にいつも近くで寄り添ってくれたご主人と「老夫婦」のような穏やかな生活を過ごしているとのこと。