プーケットマラソンに出場。目標にしていた10キロを完走する
プーケットマラソンに出るのを目標にウォーキングを続けていたのですが、翌年2013年大会では、友だちと一緒に10キロを完走。そしてハーフマラソンにも参加して、さらに翌年2014年にはフルマラソンを完走することができました。その頃は仕事をしていなかったので、毎日走り続ける日々。最低でも1日8キロ走っていました。土日で時間のある時は20キロ走っていましたね。それが自信になってハーフに挑戦、手応えを感じてフルマラソンに参加したという流れです。
今でも大阪の友だちと毎年プーケットマラソンと福井マラソンに参加。わいわいおしゃべりしながら10キロ楽しく走っています。
体調の変化でいうと、健康時の体力を100%としたら、抗がん剤治療が終わったときは0に近い状態でした。ホルモン療法と共にジョギングを開始してからは上向きになったと思うのですが、それでも20-30%ぐらいを1年間ぐらいさまよっていたという感覚。本調子に戻ってきたなと感じ始めたのは、フルマラソンを走りきった2014年ぐらいからです。それも多分、走って体力がついたお陰だと思います。きっと何もしていなかったら、体力が戻るのはもっと遅かったかもしれません。
老犬の介護を優先したくて仕事を辞める
ホルモン療法は10年継続で現在9年目です。保育士の資格をもっていたため、罹患後に、保育士として家の近所の保育園で仕事をしていました。
しかし、飼っていた老犬の具合が悪くなった時に休みを取れない環境だったため、辞めざるを得なくなりました。犬の世話で仕事を休むのは、一般的な感覚からいうと非常識に思われるかもしれません。ただ、遠く離れた異国の地で12年以上も一緒に過ごしてきた2匹の老犬は、私にとって我が子のような存在でした。タイから帰国した年に入院した時も、南国生まれの彼らが初めて過ごす日本の寒い冬に耐えられるか心配で、どうかもちこたえてほしいと思いながら過ごしました。
自宅に帰ってから闘病中も、私の気分が悪くて2階の部屋で起き上がれなくなっていたときに、階段を上れないはずの彼らのうちの1匹が、勇気を振り絞って駆け上がって様子をみにきてくれたんです。ベッドで寝ていたら、すごい音をさせながら階段を上ってきてびっくりしたんですけど、私の顔を見て「おった!やっぱりおった〜!」という感じで、すごく嬉しそうに尻尾を振っているのを見て、怖いはずの階段を上らせてしまうほど私のことを心配してくれていたことに感動しました。
がん患者へ理解のある職場へ転職
そして、2019年7月に飼っていた老犬1匹が亡くなり時間ができたころ、知り合いの会社で求人が出たので、お世話になることになりました。一番最初に職場で言われたのが、「病院ファースト、ワンちゃんファースト、趣味ファースト」。そんなこと言われたら来る日がなくなると思ったぐらいに、がん患者への理解がある職場で、何かあったときも休みが取りやすい環境なのがありがたいです。
がんの告知については、兄には話していましたが両親へは心配をかけまいとずっと黙っているつもりだったのですが、抗がん剤治療中に話をしました。きっかけは母の手術です。私の闘病と時を同じくして、母親が膝を人工関節に変える手術をしたのですが、東京にいるはずの実の娘がまったく手伝いに来ないことを親族に不審がられてしまったんです。兄からそろそろ嘘をつき通せないと言われ、正直にがんのことを伝えました。両親は今でも、「大丈夫か?」と私の体を気遣ってくれます。
自分の経験が誰かの役に立つことを知った
たまたま友人から、母親が乳がんになったと相談を受ける機会があったんです。その時に私も乳がん経験があることを伝えました。私としては何の気なしに話しただけですが、後日その告白をすごく友人に感謝されたんです。
罹患した私が今も元気に暮らしていると話をしてくれたらしく、お母さまが治療に前向きになってくれたんだとか。がん罹患者という情報を発信することで、誰かの励みになることがあるかもしれないということは、私にとって大きな喜びになりました。
ゴスペルチームに所属し充実した日々を送る
今は地元のゴスペルチームに入って、毎週歌の練習をしています。年に1度の自主コンサートに向けみんなで力を合わせて企画から演出まで取り組むので、とてもやりがいがあります。あとはタイ語が話せるので、2020年の東京オリンピックで、タイ語の都市ボランティアをする予定で研修に励んでいます。
今まで仕事一筋の人生を送ってきた私にとって、がんを経験したことが大きな転機となりました。現在は負担にならない程度に働き、プライベートでは趣味に全力投球。生活スタイルは健康的なものになりました。がんにならなかったら、家族の存在や仲間の大切さに気づけなかったと思います。私自身、ずっと寄り添ってくれた主人や、がんの経験者である先輩たちのお陰で辛いがん治療を乗り越えられたので、今度は私が世の中に恩返しをする番。私の経験が少しでも多くの方の励みになればいいなと思っています。