ホットフラッシュ、骨の痛み…数年にわたり付き合い続けた副作用
ホルモン剤注射とホットフラッシュ
術後治療のため、10年間のホルモン治療が始まり、最初の5年間は毎月1回、腹部にホルモン剤を注射することになりました。ですが最初の薬が合わず、腹部が真っ赤に腫れ上がってしまったんです。あまりに辛かったので、2回ほど注射を受けた時点で違う薬に変えてもらいました。
変えてもらった薬は針先が恐怖を感じるぐらい太いもの。看護師さんの計らいで、注射を打つ前に小さい保冷剤をあて5分ほど冷やして痛みを和らげていただきました。
他にもホルモン剤の副作用で起こるホットフラッシュにも悩まされました。真冬なのに一人だけ汗だく。恥ずかしかったのをよく覚えています。暑さを感じるので、冬場はコートの中を七部袖にして温度調節をしていました。5年が過ぎて注射が終了し、錠剤のホルモン剤のみになるとホットフラッシュから解放されましたね。
プーケットマラソンに出場したい。ウォーキングをスタート
抗がん剤の副作用によるピリピリした手足の痛みが、日常生活で気にならない程度まで回復したのは、抗がん剤治療から3年ぐらい経ってからです。
仲の良かった友人がマラソンを始めて、年に1回開催されるタイのプーケットマラソンに来年一緒に出ようと誘ってくれたんです。詳しく話を聞いてみると、5キロのウォーキング、10キロのジョギング、ハーフマラソンと種類があるとのことでした。じっとしていても足が痺れていて、不快だったので、どうせならとプーケットマラソン出場を目標に、ウォーキングを始めました。
マラソンに興味を持ったもう一つの理由は、骨の痛みです。月1回のホルモン注射を打つようになってから骨の痛みが悪化。ホルモン療法による副作用の可能性もありましたが、乳がんの場合、骨の痛みの原因が骨転移の恐れもあるため、不安を払拭すべく、再発予防にもなると思いウォーキングから始めようと思いました。もともと私は歩くのも走るのも大嫌い。抗がん剤治療で体力がガタ落ちしていたので、次の電信柱まで走るのもやっとという状態でしたが、それでも少しずつ距離を延ばせるように頑張りました。
精力的に走り続ける私を見た主人は、友だちとプーケット旅行に行きたいからだろと思っていたようでした。しかし再発予防のためと知るや否や、突然ランニングシューズを買ってきて、「知らなくてごめんね。これからは一緒に走ろうね」と一緒に走ってくれるように。
闘病中に近くで寄り添ってくれた主人には、本当に感謝しています。結婚を考えていた時にタイから東京へ引っ越すことには抵抗がありましたが、主人と一緒に暮らす決断をしたことは本当に私の人生の中でも最良の選択でした。
日増しに強くなる骨の痛み。診断結果は帯状疱疹
ホルモン治療開始後は、骨にじわっとした痛みが常にありました。もしかして骨に転移しているのではないかと心配になり、主治医にもよく相談しました。主治医からは「骨転移であれば日増しにどんどん痛みが強くなるはず。痛みが翌日少しでも弱くなったら骨転移ではない」と言われていました。ただ一度だけ、時間が経つにつれどんどん痛みが強くなったときがあって、病院に電話すると主治医が学会で不在、別の先生に診てもらうことに。
レントゲンを撮ってもらったのですが、特に異常なし。ただ、対応してくれた医師からは「患者さん自身の訴えで骨転移が発見されることもあるから、骨シンチグラフィ(国立がん研究センターがん情報サービス「骨シンチグラフィ」)という検査をするのが正確に調べられていいのだけど、被ばく量が多い検査なので、主治医からの許可が必要です。来週また来てもらえますか?」と言われて、その日はどんよりした気分で帰りました。
帰ってから心配になってネットで調べると、乳がんの人が「痛い痛いと思っていたら帯状疱疹だった」と書いているブログを見つけ、同じだったらいいなと思ったのを覚えています。そうこう思っていたら、次の日に帯状疱疹が出てきたんです。不謹慎ですが、気持ち的にはもう嬉しくて、皮膚科を受診し、やはり診断結果は帯状疱疹でした。
帯状疱疹の完治には半年ほどかかりました。中からチクチクする感じの痛みで骨がだるくなって中から重くなる感じがしていたため、神経ではなく骨の痛みと勘違いしていました。今となっては取り越し苦労でしたが、当時はホルモン治療をはじめて3年頃、まだまだ骨転移への不安に怯える日々でした。
大阪生まれ大阪育ち、生粋の大阪人。縁あってタイへ渡り起業。12年間のタイ生活を経て、結婚を機に日本へ帰国。帰国直後に乳がんが発覚。明るい性格と強い意志で闘病生活を乗り越える。現在は、闘病中にいつも近くで寄り添ってくれたご主人と「老夫婦」のような穏やかな生活を過ごしているとのこと。