抗がん剤の副作用に悩まされ、休職を決断
手術を受けてから約3週間後の2月下旬、放射線治療が始まりました。これは、手術で取り切れなかったがんが残っているかもしれない部分に放射線をあてることで、進行を予防するためのものでした。また、同時並行で抗がん剤治療も行いました。
1回の治療は10分未満ですが、平日に毎日行う必要があり、1ヶ月半の間、毎日往復3時間かけて電車で病院に通いました。
放射線治療の後半には副作用として脱毛も出てきましたが、事前に説明されていたので、脱毛による見た目の変化にそこまで落ち込むことはありませんでしたね。
第二子が誕生するも、治療のため離れて暮らすことに
脳腫瘍の告知を受けて2ヶ月後、手術から1ヶ月後の2021年3月に第二子が産まれました。
当時、平日は毎日往復3時間かけて放射線治療に通っていたので、妻と話し合って出産後すぐに里帰りをしてもらい、わたしは両親、祖母、兄家族のいる実家で過ごすことにしました。2ヶ月ほど離れて過ごすことにはなりましたが、治療に専念するためと義実家も含め家族皆が理解してサポートしてくれたことには感謝しかありません。
抗がん剤の副作用で余儀なくされた食生活の工夫
放射線治療と並行して行った抗がん剤治療では、最初の1ヶ月間は毎日薬を飲み続けましたが、その後は1ヶ月のうち数日間だけ薬を飲み、のこりは休薬、というパターンを1クールとして、計6クール治療を行いました。
抗がん剤を飲んでいる間は常に吐き気がありました。胃が重く、食事を食べると吐き気が強くなってしまう上、食材によっては食べづらさや飲み込みづらさもあり、食べたいものや口にしやすいものが治療前とは大きく変わりました。
特に、お米はモサモサした感じがあり、食べられなくなってしまいました。もともと家ではわたしが料理担当だったため、「これは飲み込みやすい」と感じた食材を使って料理をしていました。麺類は食べやすく、この時はよく食べていましたね。
抗がん剤の副作用があり、傷病手当金の支給を受けながら休職
手術から2ヶ月ほど経ち、放射線治療も終了した4月、医師から復職の許可がおりました。
しかし、抗がん剤の内服治療による、慢性的な吐き気の副作用があったので、仕事を再開するのは難しいと感じました。また、抗がん剤を飲んでいる期間は、日中もだるさで何もする気にならず、ベッドで横になって本を読むくらいしかできない状態だったんです。
老人ホームでの調理の仕事は、早番・遅番など出勤時間も不規則で、立ち仕事でもあります。考えた結果、抗がん剤治療中は休職して、傷病手当金の支給を受けることにしました。
入院前、傷病手当金や高額療養費制度について、病院でプリントをもらい、説明を受けていたことに助けられました。
休職中は、里帰りから戻ってきた妻と子どもと一緒に、家族の時間を過ごすようにしました。
幸いにも、妻が産前産後休業・育児休業を取った後には仕事に復帰する予定でいてくれたのもあり、休職中も金銭面でそこまで差し迫った不安はありませんでしたが、それでも月4万~6万円もかかる抗がん剤の費用負担に関してはとても重く感じました。
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2021年1月
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2月
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2月
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6月
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2022年4月
2021年1月、入浴後に倒れたのをきっかけに脳腫瘍が判明。手術、放射線治療、抗がん剤治療を行う。元々イタリアンのシェフをしており、2022年4月には脳腫瘍判明前から目標としていた「自分の店を持つ」という夢を、キッチンカーのオーナーシェフとなることで実現。2児の父。(インタビュー・掲載時の情報です)