会社の理解も得て、入院中もテレワーク勤務
退院の約1週間後から、抗がん剤治療がスタートしました。
抗がん剤治療開始前、悪性リンパ腫と診断されたことを上司に伝えました。先述の通り、それまで事情を打ち明けていたのは同僚1名だけでした。
しかし、私が受けた抗がん剤治療は、1週間入院し、2週間空けてまた入院するルーティンを6回繰り返します。職場に伝えないで治療を受けることは不可能だったので、悪性リンパ種を発症したことを正式に勤務先に報告しました。上司からは「健康第一だから、しっかり治療して欲しい」と言ってもらうことができ、安心して治療に臨むことができました。
抗がん剤治療に臨むことが決まった後は、誰に何を話したかがわからなくなると面倒ですし、相手によって話した内容に差が出るのも嫌だったので、家族にも、職場にも、友人にも、悪性リンパ種を発症したため治療していることを、隠さずに伝えていました。
勤務先の配慮で、病室での「テレワーク」と治療をスタート
治療に際して、有給休暇の日数が足りなくなることがわかっていました。入院で、最低でも30日間は休むことになります。しかし、年間の有給休暇の残り日数が、抗がん剤治療開始前の時点で、10日ほどしかありませんでした。
しかし、治療はしなければいけません。勤務先と主治医に相談し、入院時も病室にパソコンを持ち込んで、体調が許す時には仕事をすることにしました。勤務先が病室で仕事をした日を就労日として認めてくれたのは助かりました。
抗がん剤治療を6回繰り返す。休薬期間には出社も
私が受けた抗がん剤治療は、土曜日に入院し、月曜日から金曜日に投薬を実施、次の土曜日に退院するルーティンです。これを6回繰り返しました。投薬した週と、次の投薬の週まで2週間のインターバル(休薬期間)がありますが、この期間は出社していました。
抗がん剤の副作用としては、倦怠感が少しありました。
入院して投薬が続く木、金曜日あたりになると、少し倦怠感が出始め、土曜日から日曜日までそれが続きました。しかし、退院後出勤する月曜日には、倦怠感はほぼ消えていました。
そのほかの副作用としては、手足の指先のしびれ、脱毛がありました。毛髪については、抜け始めたときに、頭に中途半端に毛髪が残っているが嫌だったので、スキンヘッドにしました。自宅で妻に電動バリカンで刈ってもらいました。
副作用は出たものの、最後のクールまで、休薬期間には出社するだけの気力と体力は保っていました。
治療後の生活を見据え、入院中も体を動かす
入院中は点滴につながれ、基本的にはずっとベッドの上です。体はなまってしまいがちで、退屈でもあります。入院生活で筋力や体力が落ちたら、病気が治っても元通りの生活になるのが遅れると考えていました。「治療が終わったら、すぐに以前のように生活したい」という思いから、主治医に相談の上、なるべく体を動かすようにしていました。
早く治して息子たちと遊びたい。家族の存在がモチベーションに
家族の存在も治療に励む大きなモチベーションになっていました。発症時に、長男は小学5年生、次男は小学1年生でした。「早く病気を治して、また子どもたちと遊びたい」そのような思いを抱きながら、治療に臨んでいました。
子どもたちには、最初に入院するときに自分ががんになったことを伝えました。遠回しな言い方はせず、「お父さん、がんになったから、入院して治すよ」と正直に伝えました。彼らが事の重大さをどこまで理解していたかは、わかりませんが。
治療の合間には旅行にも
入院中は、仕事の他には、テレビやネットを見たり、本を読んだりして過ごしていました。
妻が3日に1回ほど病室に来てくれ、退院のときには毎回、妻と息子2人が迎えに来てくれました。
治療中、体調が大きく崩れなかったこともあり、治療が終盤にさしかかった7月頃には、入院と次の入院の間に旅行もしました。気分転換も兼ねて、1泊2日で箱根へ。治療中でも、それぐらいの体力は残っていました。
事務系管理職として働いていた53歳の時、悪性リンパ腫(びまん性大細胞型B細胞リンパ腫)を発症。抗がん剤治療、放射線治療、造血幹細胞移植(自家末梢血幹細胞移植)を経験。2019年12月に完全寛解。(インタビュー・掲載時の情報です)