乳房切除への抵抗感。頭では理解できていたが吹っ切れるまでに時間が必要だった
想定より長かった休職期間。情報収集の必要性を感じた
左乳がんと診断された時点では、仕事をどれくらい休めばいいか分かりませんでした。その後、医師から具体的に入院や手術などのスケジュールを案内されてはじめて、自分に必要な休職期間を把握。
個人的な感覚では、2~3週間、長くても1か月の休職だろうと考えていましたが、結局2か月間休職することに。今思えば早め早めの情報取集を行っていればよかったと思います。
手術への抵抗感。女性の象徴を失うという感覚があった
確定診断を受けたことで、徐々にこれまでにはない不安を感じるようになりました。今まで通りの生活ができないかもしれない。そんな漠然とした不安です。
でもそれ以上に乳房の切除への抵抗感のようなものがありました。これまで付き合ってきた自分自身の体の一部であるということはもちろんのこと、部位が部位だけに…。それまで特段、自分の乳房に対してこだわりを感じたことはありませんでしたが、いざ手術となると、女性の象徴を失うということが大きくのしかかってきました。
正直どう言葉にしたらいいのかわからないような気持ちが頭の中を占めていました。さみしさや悲しさというよりも喪失感とでも言えばいいのでしょうか。がんだから切除しなければならないことは、頭では理解できてはいたのですが…。女性の象徴という言い方をしましたが、だからってなんだと吹っ切れるまでには時間がかかりました。
家族への報告。高校受験を終えた息子には良いタイミングで伝えられた
確定診断が下りて夫や子供たちにも、がんに罹患したことを伝えました。夫は体調を崩していたので、これまでずっと自分の病気については黙っていました。
その後のやり取りは淡々としたものです。いつから入院して手術して、といった事務的な報告をして、夫も「分かった」と言ってくれて。今後の具体的な話をしただけで、それ以上でもそれ以下でもなかったです。
同じタイミングで子供たちにも話をしましたが、動揺する様子はなかったです。高校生の娘は私のいない間、積極的に家事を手伝ってくれて助かりました。共働き家庭だったので、もともと私だけが家事をしていたわけではないのですが、この時期から娘が主体的に家事を分担してくれて、とても頼もしく感じましたね。
息子に伝えたのは高校受験が終わった頃です。試験前に伝えて動揺させてはいけないと思っていたので、気兼ねなく伝えることができました。いいタイミングで伝えることができて良かったです。
健康診断での医師の指摘をきっかけに受診し始めた経過観察によって乳がんが発覚。手術後1年の節目に行った検査で子宮筋腫の悪化が発覚する。当初は女性ならではの箇所のため強い喪失感を感じる。現在は社内のがん経験者のコミュニティに参加。がん罹患者の経験を活かし、働きやすい環境作りに従事しているとのこと。