術後補助治療としての抗がん剤治療から半年後、リンパ節への転移が判明。再び入院が必要に
2018年8月、リンパ節への転移が判明しました。
当時は3カ月に1度のペースで通院しており、転移が分かったのは術後補助療法終了から半年後のことでした。その頃から腫瘍マーカーの値が上昇し、基準値を超えるように。医師からは再発の可能性を示唆され、念のため造影剤を使用したCT検査を受診。その結果、胃の後ろ側にある大動脈傍リンパ節の転移が判明しました。
たしかに前兆と呼べるような身体の異変はありました。味覚に異常を感じて食が細くなっていましたし、食後には吐き気をもよおすことも。ですから最初は胃への転移を疑っていました。
取れば治ると思っていただけに、転移には落ち込んだ
転移が分かったときはさすがに落ち込みました。
最初に告知を受けたときは、あくまでがんは体内の細胞の異常だと楽観的に考えていましたし、取れば大丈夫という感覚でした。それが転移していたのです。取れば治ると思っていたのに取っても治らなかった上に転移していました。
次の治療について主治医からは、再び入院での治療が必要と告げられました。
吐き気による食欲不振。病院食の匂いがダメだった
治療は化学療法(抗がん剤治療受けながらの放射線治療)が始まると副作用の症状に悩まされました。副作用の症状が出ているときは吐き気がすごくて、何も食べられないんです。夜中になると全部吐いちゃうから食欲もなくて。主治医にも食べられるものでいいから食べてと言われていました。
本来であれば病院食を3食きちんといただくのが良いのでしょうが、私の場合は病院食の匂いが本当にダメで、食事をのせるトレイを見ただけで気持ち悪くなってしまいましたね。
一方で不思議なことに、味の濃い食べ物だけは食べることができたのです。
病院内のコンビニに行くと、食べ物の匂いでこれなら大丈夫そう、というのが感覚で分かりました。例えば、肉まんやピザまん、それ以外にもカットフルーツとか。こういったものはなぜか食べることができたのでよく食べていました。
吐き気を紛らわすために色々と試してみましたが、私にとって逆効果だったのは、売店で買った間違い探しの絵本でした。集中して探していたところ、酔いがさらにひどくなってしまいました。
結局、病院の敷地内を散歩して外気に触れるのが、私には一番効果がありました。
「頑張れ」と言わない。看護師さんの高い傾聴力
治療で辛いときに、看護師さんの言動や心遣いがありがたかったです。特にすごいなと思ったのは、「頑張れ」って絶対言わないところ。
私の場合、看護師さんに八つ当たりしちゃうことも結構あったんですよ。「こんなに副作用出てるけど効いてるの?」「効いてなかったら時間がもったいないよね?」とか。
看護師さんは、私がそんなことを言っても、頑張りましょう、って言葉を絶対に言わないんです。返答は「そうだよね、そうだよね」って、基本的にはそれだけ。ひたすら話を聞いてくれて、こちらの気持ちに寄り添ってくれる。傾聴力の高さに驚きました。
ただ唯一、婦長さんにだけは頑張れって言われました。泣きながら、頑張れって言ってくださり、それはそれですごく気持ちが伝わりました。
一時帰宅を試みたところ、医師や看護師さんに反対された
入院して治療を受けるにあたって、特に困ったのは家のことです。
その頃私は放射線治療がない週末だけ帰宅できる生活でした。夫は普通の生活を1人で送れる状況ではありませんでした。座っているだけなら問題ないものの、立っているとフラフラして転んでしまうんです。だから家事も十分にできなくて、私が家に戻ると洗濯物は溜まったままだったり、10月で寒い時期なのに夏の布団を使っていたり。おそらく入浴もしていなかったと思います。排泄面もとても心配でした。
それなのに私が入院してしまっては、夫のことは誰が面倒を見るのだという感じで……。もちろん義理の両親にはお願いできませんし、私がなんとかするしかない。
ですから夫の世話をするために一時的に帰宅しようとしたのですが、主治医、婦長さんにまで、帰っちゃダメよって反対されてしまいました。その時はすごく怒られました。ちゃんと治療しなきゃいけませんよ、と諭されてしまい。
でも私には夫のこともあるし……、さすがにその時ばかりは本当にどうしたらいいのか悩みました。
体調の異変を感じて健康診断を受けたところ、2017年6月に子宮頸がんが発覚。抗がん剤治療と並行して夫の看病を行う。2018年8月にリンパ節への転移が判明し、抗がん剤治療と放射線治療を再開。2019年9月、そけい部リンパ節転移が分かり手術を受ける。現在再発はなく、経過観察中。