まずは時短勤務、残業禁止から。翌年1月にはフルタイム勤務に復帰
幸い体調は良かったので、早く今まで通りのように働きたいという気持ちが強かったです。実際に、放射線治療を開始した週には職場復帰をしました。
職場復帰には産業医との面談が必須だったので、復帰前の9月10日に面談を行い、今後の働き方について産業医と話し合いました。その結果、最初は10~17時の時短勤務で残業禁止。有り難いことに在宅勤務の許可も出ました。ですが何度か家で働いてみたところ、仕事のストレスがたまってしまったので基本的には出社していました。というのも当時の職場は主に紙ベースの仕事が多く、やりとりが煩雑だったんです。もちろんペーパーワーク以外の仕事を希望すれば良かったんでしょうが、正直そこまでではありませんでした。
私の場合、抗がん剤治療での体力低下はそこまで深刻なものではありませんでした。日帰りで京都に行っていたくらいなので、歩く程度の運動であれば全く問題なかったです。ただ放射線治療をしていたときは、口内炎であまり食事をとれなかったので、周りから見ると痩せて見えたかもしれません。
ですから体力的に厳しかった期間は短く、10 月下旬〜12月上旬の約2ヶ月程度。その後は放射線の副作用も収束していきました。翌年の1月からはフルタイム勤務を再開。復帰して働きたいという意欲は、割と早めに解消されましたね。
SNSで情報公開。友人に伝えたかった
少し時間が遡るのですが、2017年9月に自分が悪性リンパ腫に罹患していることをSNSで公開しました。たしか投稿日は誕生日の翌日くらい。動機は特になくて、本当に思い付き。一回だけ公開して、それが最初で最後でした。職場の皆んなにはメールで伝えていましたが、友人や知り合いにはまだ伝えてなかったんです。もともとお酒が好きで、ホームパーティーをするなどオープンな交際をしていたのに、入院をして今まで通りの付き合いができなくなった。別に不審がられているとか心配されているとかは思っていませんでしたが、ちゃんと理由を伝えたいなと。
それでどう伝えればいいかなと、友人に知らせる手段を考えたときに、SNSで公開すればいいな、という感じでした。本当に軽い気持ちで、「こうなりました」と脱毛している写真と一緒に今の状況を投稿しましたね。
友人達からは「応援していますよ」「早くよくなってね」など一般的な反応が多かったものの、かけられた言葉はどれも嬉しいものでした。その投稿をきっかけに、以前の部署の方々から励ましの色紙をいただき、とても嬉しかったのを覚えています。