2度目の抗がん剤はセカンドライン。先が見えない闘病生活に、体験談をチェックする日々
半年以内の再発。2度目の抗がん剤治療が始まる
2013年2月、時短勤務や残業規制が解除されない中で、後腹膜リンパ節に再発が判明。再び抗がん剤治療を行うことになりました。当初抗がん剤治療が終わった時点では、今後は3か月に一回、定期検査を行い、もし再発があるなら半年から1年くらいで判明するはずと告げられていました。ですから驚きはなかったです。
とはいえ治療後半年以内の再発だったので、早かったなとは思いましたね。
これまでの薬剤とは異なる抗がん剤を投与するため再び入院することに。本音を言えば入院は避けたかったですね。というのも実はこの時期にもオーケストラの本番があったんです。夏に参加できなかったので、今回こそはという気持ちが強かった。先生にも相談をして、治療開始を2~3日ずらし、演奏会の本番が終わってすぐに入院するというスケジュールに変更してもらいました。ですから打ち上げにも参加せず、すぐに病院に戻った記憶があります。
ここで使用した抗がん剤はセカンドラインのものでした。要はプランBです。前回と変わらず、今回も3クールの投与。ここで心配になってきたのは、有給の残数です。有り余るほどあった有給も流石にもうなくなるだろうと。あとは、治療結果がどこかでひと段落するのか、それともこのまま永遠に治療をし続けるのか、自分の将来についても考え始めました。正直なところ、少し先が見えなくなってきたなと思いましたね。
体験談ブログを読む。他の人の治療方法が気になった
一般的にはセミノーマは、治療成績は良好だと言われています。でも、意外と大変だなという感じでしたね。ありがたいことに主治医は率直に説明してくださる方で「ご自身でネットとかで色々調べたりされると思いますが、何か気になったことがあればどんどん聞いてください」と仰っていましたね。
ちょうどこの辺りから、ネット上の体験談を見るようになりました。標準治療から外れてきている感覚があったので、他の人の治療方法が気になり出したんですね。同じような病理の方はどのように過ごされているんだろうって。
精巣がんは割と若い方が罹患するため、結構ブログを書かれている人が多かったように感じました。その中で特に印象的だったのは、精巣腫瘍になったとある大学生。北海道の人でしたが、治療のために関西まで来ていたようです。その人は非セミノーマ(非精上皮腫)の方でかなり治療を繰り返されていて、肺にも転移、手術もされていたように記憶しています。
私は32歳に精巣腫瘍と診断されましたが、その方は20歳そこそこ。しかも、大学も休学されて治療するなど、自分よりももっと厳しい状態で闘病生活を送っており、素朴に頑張っているなと思いました。
-
2011年2月
-
5月
-
2012年6月
-
6月
-
2013年2月
-
5月
-
10月
-
12月
2011年、東京へ転勤のタイミングで精巣腫瘍が発覚。手術により一週間程度で職場復帰するも、翌年大阪への転勤に伴う転院先で後腹膜リンパ節に転移が判明する。その後、再発、転院、リンパ節郭清手術を経験。闘病を通して、支えられて生きていることの幸せさに気がついた。