左乳がん確定。主治医の言葉だけを頼りに闘病生活へ
確定診断。ショックはなかった
医師に勧められ検査を受けるまでは1週間から2週間くらいでした。
検査を受けた後、結果を見た医師からは「乳がんの疑いがあります。生検をしましょう」と言われました。その時点では告知を受ける覚悟はありました。これまでの経緯から乳がんの可能性が高いと考えていたため、きっとそうなんだろうなと。漠然とではありますが予感はしていました。
1週間後、2月初めに生検の結果が出て、左乳がんの確定診断を受けました。早期発見だったので、腫瘍はそれほど大きくなく、乳房温存手術になると言われました。
MRI、生検、告知までの流れは予想の範囲内だったので、確定診断を受けて過度に落ち込むことはありませんでした。むしろ生検の結果を聞きに行くのは確認をしに行くくらいの気持ち。それよりも今後の流れに面くらいました。
というのも、その場で手術日程を決めましょうと言われたのです。告知は覚悟していたものの、いつどんな治療をするかまでは想像できていませんでした。その場で治療方針や今後のスケジュールを淡々と説明され、事務的な印象を受けましたね。
手術までに行う数々の検査、その検査を受けるために必要な通院についてなど、医師から説明される情報量が非常に多かったので、一言一句聞き洩らさないようにするのが精一杯でした。割と冷静にいられたようにも思いますが、質問する余裕はありませんでした。
看護師さんとの面談。何を質問すべきか分からなかった
医師からは、聞きたいことや不安なことがあったら担当の看護師に、と言われ、担当の看護師さんとの面談機会を設けてもらいました。看護師さんは私に対して質問や不安がないか優しくたずねてくれましたが、突然のことに何を質問したらいいか分からず、特に何も聞けませんでした。
面談の場では看護師さんから家族構成や入院後の家庭生活について確認され、10〜15分程度で終了しました。
今振り返ってみると、努めて冷静にいようとしていたのは、色々と質問してしまったら堰を切ったように自分の中から感情が溢れ出てしまうおそれがあったからかもしれません。
セカンドオピニオンは受けなかった。主治医に告げられた情報で治療、闘病する選択
何人かの友人にがんに罹患したことを伝えました。中にはアドバイスをくれる友人もいて、セカンドオピニオンを勧められたんですよね。気遣ってくれるのは嬉しくもありつつ、セカンドオピニオンを受ければまたがんについて考える時間が増えてしまうなあと。個人的にはがんについて考える時間を極力減らしたかったので、友人には感謝の気持ちは伝えるにとどめました。
その後も、がんについてすすんで情報収集することはほとんどありませんでした。この病院、この医師に手術をお願いすると決めたので、それ以上の情報を受け取りたくなかったんです。
多くの情報を見聞きすると、迷ったり、不安になったりする可能性がありますよね。私は医師に告げられた最小限の情報で治療、闘病すると決めていました。
職場の上司、同僚からの暖かい言葉が励みになった
MRI検査を受ける段階で職場の上司にはがんの疑いがあると伝えていたので、確定診断の結果を上司に伝えることにためらいはありませんでした。上司からは、人事部や担当役員にも話してよいかと聞かれ、後任が必要だった私としても「話していただいて問題ありません」と即答しました。
上司は事務的な連絡だけでなく、色々な暖かい言葉をかけてくれました。休職中も何度もメールを送ってくれて、仕事のことは心配しなくていいこと、職場のメンバーが待ってくれていることなどを伝えてくれました。自分が必要とされている感覚は、早期の職場復帰を目指す上で大きな励ましとなりました。
上司だけでなく、職場の同僚たちからも暖かい言葉をもらい、それは本当に嬉しかったです。「気兼ねなく治療してきて」「治療が終わったらまた一緒に仕事をしよう」などの言葉は闘病生活を送る上で大きな励みになりました。
健康診断での医師の指摘をきっかけに受診し始めた経過観察によって乳がんが発覚。手術後1年の節目に行った検査で子宮筋腫の悪化が発覚する。当初は女性ならではの箇所のため強い喪失感を感じる。現在は社内のがん経験者のコミュニティに参加。がん罹患者の経験を活かし、働きやすい環境作りに従事しているとのこと。