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2014年8月 抗がん剤治療

2クール目からが大変だった副作用、予定していた復職を諦めた

内服薬を半年間服薬することに。まずは2週間から

抗がん剤の副作用については、人によっては大変と聞いていましたが、実際に服薬をはじめると、話に聞いていた通り大変でしたね。

4週間の服薬と1週間の休薬、この5週間を1クールとし、計5クールの抗がん剤治療を行いました。様子を見るため、最初は2週間の服薬からスタート。飲み切ってから次の方針を考えようという話をしていました。

最初の2週間は、ちょっと気だるさがある程度。特に問題はありませんでした。先生にも、大丈夫です、と話して、次の2週間分の薬をもらい服薬を続行。1クール目はこれといって大変だった印象はありませんでした。

抗がん剤の副作用、2クール目からが大変だった

症状が出始めたのは2クール目に入ってからです。

下痢と吐き気、両方共止まらなくなって、これに関してはもう抗がん剤治療が終わるまでずっと続きましたね。2クール目は家からほぼ1歩も出なかったと思います。トイレに1日中こもっていた日もあって、思っていたよりもしんどい生活でした。主治医から日常生活を妨げる副作用が出た場合はすぐに連絡するようにと言われていたのですが、我慢してしまったんです。

てっきりがんを切除して、腸と腸を繋げてしまえば、普通の生活に戻れるんだろうというイメージだったので、抗がん剤の副作用を体験してこれは大変だなと考え方が変わりました。

3クール目に入る前の段階で検査をしたところ、肝機能の数値が非常に上がっていることが分かりました。医師から何か変わったことはないかと聞かれたので、下痢と吐き気の症状を訴えたところ、服薬量を減らそうという話に。私も無理をしてでも飲みたいという気持ちはなかったので医師の診断を受け入れ、薬を減らすことに同意しました。

雑炊にうどん。妻が胃腸に優しい食事を用意してくれた

下痢や吐き気の症状は出ていたものの、食欲は普段と変わらず。とはいえ何でも食べられるという状態ではなかったので、妻には胃腸に優しい食事をよく作ってもらっていました。妻は料理を作る際に、病院からもらったがん患者向けの食事レシピが載っている冊子を参考にしていたようです。

メニューは雑炊やうどんなどが多かった気がします。もともとラーメンが好きだったのですが、ラーメンが全く出てこなかったのはよく覚えています。

とはいえ、私からあれが食べたいこれが食べたいと妻にリクエストすることはありませんでした。献立は、私の身体を気遣ってくれる妻に一任していました。ただ一つだけ、お粥があまり好きではないので、お粥だけは避けてもらうようにお願いしていました。

目標は一日一万歩。体力作りのために熊本城の周辺を歩いた

当初は8月下旬の職場復帰を考えていました。

ただ、8〜9月は本当にすごく辛くて、生活するのもやっとという感じ。とても働けるような状態ではありませんでした。定期的に人事、産業医の先生とは面談をしていましたが、まずは肝機能の数値が標準値に戻るまで様子を見ることになりました。それまでは定期的に検査結果を共有するということで三者合意。10月末の検査結果を見て、問題がなければ11月中旬の復職を目指しましょうという話になっていました。

家にずっとこもっていたので、体力の低下は自分でも分かっていました。抗がん剤の副作用のせいか、疲れやすさも。11月の復職に向けて体力を整えなければという思いはすごくありましたね。

10月くらいから、一日一万歩を目標に毎日歩くよう心がけていました。家の近くに熊本城があったので、お城の周りをよく歩いていました。余裕がある時は、走ることもありました。

小学6年生と中学生の子どもが、2人ともバスケ部に所属していたので、練習を見に行くこともありましたし、練習試合の送り迎えなどもよくしました。

 

 

がんを経験された個人の方のお話をもとに構成しており、治療等の条件はすべての方に当てはまるわけではありません。

新型コロナウイルスの影響によりテレビ会議を用いて取材を行ったため、写真は後日追加予定です。

入院・手術

抗がん剤治療

職場復帰

2014年5月に転勤先の熊本で大腸がんの告知を受ける。地元の大阪と転勤先の熊本で治療を受けるか悩むも、信頼できる熊本の医師のもとでの手術を選択。罹患後の体調から営業職から内勤職へ配置転換。がん罹患経験は、家族のあり方を見直すいい機会になったとのこと。

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