4月11日に手術の日程を決めるため呼吸器外科を受診しました。病院には妻が付き添ってくれました。当初の外科医師の話では5月18日の週にしましょうと1ヶ月位先の日程を言われたのですが、4月8日から3日間に渡り、朝方になると40度以上の発熱、昼過ぎに下がるといった症状が出るようになりました。それを医師に告げたところ、検査の指示があり、がんからくる腫瘍熱と肺炎をおこしている可能性があるということで、急遽翌週19日の手術が決まりました。
手術前日から入院、その夜には手術内容の説明を受けました。左肺の全摘出が必要なのか、上半分の切除だけで済むのか、それは実際に手術で開いてみないとわからないと言われたのですが、手術方法や術後の経過、副作用などについては肺の図などを交えて主治医から詳しく聞けたことで、不安はもちろんありましたが、頭での理解が進みました。
実際の手術は6時間半にも及びました。術後に聞いた話では、僕のがんは通常であれば全摘になるほど深刻な状態で、全摘にならなかったのは執刀医の英断があったからだそう。執刀医は病巣を確認して直ぐ「よし、残すぞ!」と仰ったらしく、同席した医師は相当難しい手術になると徹夜を覚悟したと話していました。さらには「左の肺を半分残せたのは本当にすごいこと」だとも。これ程までに難易度の高い手術をたったの6時間半で終わらせ、成功させることができたのは、執刀医が優秀な方だったおかげです。
がん治療には病院選びがとても重要
数年後の2018年には右肺に原発の腺がんが見つかり手術を行いました。ですから、このときに左肺を残してくださったことは本当に有り難かったです。以前は病院なんてどこも同じという考えでしたが、がんを経験した今では、病院選びがとても重要だと感じています。
僕は当時札幌にいたということもあり、東京での病院選びに色々と迷い、どの病院を選んだら良いのかわからなかったので、がん専門の相談サービスを利用しました。具体的には手術が可能な病院をいくつかリストアップしてもらい、実際に候補の中から選びました。
妻が号泣する姿を見て、情報はきちんと伝えなければいけないと反省した
このとき、第三者の意見を仰いで本当によかったと感じる出来事がもう一つありました。それは、病院から受けた抗がん剤治療の説明に納得ができず、面談による相談サービスを利用した際、担当カウンセラーの方が妻の気持ちにきちんと寄り添ってくれたことです。
家から近い喫茶店でカウンセラーとの面談中、カウンセラーの方から席を外すよう頼まれたことがありました。暫くしてトイレから戻ってみると、妻が人目もはばからずに大泣きしていたのです。
カウンセラーの方からは「旦那さんが病気のことをあまり話さないから、奥さんはどう接していいのかわからないらしいよ」と説明されました。家族に心配をかけたくないと思ってがんの話をしてこなかったことが、逆に妻を不安にさせていたのです。カウンセラーの方は妻のちょっとした表情の変化も見逃さず、うまく気持ちを吐き出させてくれたのだと思います。とても有難かったです。
それからは妻も「今、調子どうなの?」と聞いてくるようになり、僕も気軽に体調の話をすることができるようになったので、気持ちがとても楽になりました。
術後は感染症防止のために、院内を2キロほど毎日歩いた
入院期間は10日間ほど、手術の翌日からはとにかく院内を歩くよう指導を受けました。院内を歩くにあたり、初回だけ看護師さんに付き添ってもらいました。傷口の痛みはありましたが、点滴棒を引っ張りながら、院内を毎日ゆっくり歩く日々。1周が200m程で、それを毎日10周ぐらいしていました。
入院中はずっと仕事のことばかり考えていたように思います。頻繁に家族がお見舞いに来てくれましたが、傷口の痛みもあり、病気や今後の生活について話すことはありませんでした。退院後は、5月2日付で東京への異動が決まっていたのもあって、引っ越し準備や職場への挨拶など、とにかく引き継ぎ業務で忙しく、仕事で頭がいっぱいでした。
胸の痛みが辛かったが、がん患者の体験談に救われた
傷口の痛みが治まり始めた頃、胸の前辺りにピリピリとした痛みを感じるようになりました。気になって先生や看護師さんに何度も相談するも、「胸の手術をしたから神経系の痛みだろう」と片付けられてしまいました。
痛みに対する不安感から、がん患者の体験談をネットで読み漁っていたのですが、僕と同じ肺がんの患者さんの体験談を読んでいたときに「木をのこぎりでサイコロ状に切って、それを胸の中でかき回しているような痛み」という表現を見つけて、本当にその通りだと強く共感しました。このとき初めて、この痛みを感じているのは僕だけじゃない、他にも同じ痛みを感じている方がいるんだ!と、気持ちがとても楽になったのを覚えています。痛みへの対処法として、先生から抱えるように手で押さえていれば楽になりますよといわれましたが、それ以上にこの痛みを抱えているのが僕だけではないということが闘病の支えになりました。