※本記事は、患者さんの体験談であるため、具体的な病状や治療法なども出てきますが、あくまでも個人の例であり、病状や治療効果は、個人差があります。すべての患者さんへ適応できる状況、効果を示すものではないことを了承ください。
最初におとずれたのは「もし膵臓がんだったら」の不安
乳がんとわかったきっかけは、毎年受けていた人間ドックです。
2023年10月、近所の総合病院で人間ドックを受けました。この時、乳がんの超音波検査などのがん検診も行いました。
ただ、最初に来たのは乳がんではなく消化器の検査結果でした。血清アミラーゼの数値が基準値を超えているので精密検査を受けるようにとのことでした。精密検査はどこの病院で受けてもいいとあったので、かかりつけの内科で行いました。
精密検査の結果、確かに現状の数値は高いものの、食事や運動に気をつければ落ち着くと言われホッとしたのを覚えています。消化器ということで、「もし膵臓がんだったら、どうしよう」などと考え怖くなっていましたので。
その数日後、乳がん検診の結果が届きました。右胸にしこりがあるので精密検査を受けるようにとのことでした。消化器の時とは違い、人間ドックを受けた総合病院の乳腺外科で指定された日付に検査を受けるようにと指示もありました。
とはいえこの時はまだ深刻に受け止めてはいませんでした。
消化器も同じように連絡が来て精密検査をしたものの問題なかったので、右胸のしこりも何かの間違いではないかと思っていたんです。連絡が来た後右胸を触ってみましたが、特にしこりがあるようには感じなかったのも理由です。胸の状態によってはがんではないものががんのように見えるとの情報も聞いたことがあったので、「私もそういったタイプではないか」なんてことも考えていました。
上司に電話で報告しようやく実感した、乳がんという現実
11月上旬に針生検を実施。その3週間後の12月初旬、結果を聞きに行った際に乳がんの告知を受けました。
診察室に入った際、私の方を見る主治医の表情が暗く見えたんです。そこで色々と察して、私の方から「やっぱりがんでしたか?」と尋ねました。すると主治医は、「わかりましたか」とすこし驚いたように答えました。
その後、主治医から詳細について説明がありました。「やはり乳がんでステージ1。(がん細胞が乳管の外側にも広がっている)浸潤がんです。少し状態が進んでいるので、手術と術後の放射線治療が必要です。その後、ホルモン療法を行います」と言われました。
告知を受けた後、廊下に出てまず上司に電話をしました。放射線治療は毎日通う必要があります。働きながら仕事を続けるためには勤務時間の調整をしなければならないので、すぐに連絡する必要があると思いました。
事前に乳がんの精密検査に行くと伝えていたので、上司は結果についての連絡だとすぐにわかってくれました。
震えながら、「やっぱり私、がんだったんです」と切り出しました。「それでお休みをもらいたい日があるんですけど」と続けたところ、「大丈夫だよ。何とかなるから」と希望した日すべてについて休むことを了承してくれました。そのような温かい心遣いがありがたかったですね。通話の内容を察した職場のメンバーも、私が泣いていないか心配してくれていたそうです。
電話の最中は事務的に話せていたんですが、切った直後涙がボロボロとこぼれてきました。今になって思うと、電話をしながらようやくがんだと実感したんだと思います。
実は告知後、主治医の説明が全然頭に入ってこなかったんです。主治医は胸の絵を描いて丁寧に説明してくれたり、こちらに寄り添うような態度を示してくれたりしていたんですが、私が受け止められない状態で「仕事、休めるかな」などと説明とは別のことばかりを考えていました。
主治医もそんな私の状態に気づいて説明の途中で、「大丈夫ですか、わかりますか?」と尋ねてくださったんですが、「ごめんなさい、理解できないです」と返すことしかできませんでした。