38歳で中咽頭がんからのリンパ節転移が発覚。落胆する私を支えてくれた妻の存在
がんの告知を受ける。思わず「マジっすか」と言葉が漏れる
2017年10月頃、仕事中に頬杖をついたとき、ふと首に違和感を覚えました。手でさわってみると、顎の付け根あたりにピンポン玉大の腫れを感じたんです。普段なかなか気にかけない部位。どうしたんだろうと思いました。
私はもともと何か疑問が生じたら突き詰めて調べるタイプなのですが、妻とも相談して勤務先の近くの耳鼻咽喉科で診てもらうことにしました。医師もなかなか判断がつきづらい様子。総合病院できちんと検査を受けたかったので、お願いをして紹介状を書いていただきました。
紹介状を持って、すぐに都内の総合病院へ行き精密検査を受けました。一週間後、私の首にあるピンポン玉のような腫れは中咽頭がんからのリンパ節転移と判明。がんの告知を受けて落胆した私は目の前が真っ暗に。医師の前で「マジっすか」と言葉が漏れてしまうほど落ち込みました。
「Hさんいい知らせです」。妻と2人で喜んだ
遠隔転移の可能性もあるため、全身の検査を勧められました。告知を受けた総合病院では遠隔転移の場合、症例数が少ないとのこと。大学病院を紹介いただき、そちらで12月までの2〜3週間、全身をくまなく検査しました。
確定診断は中咽頭がんステージⅣA。遠隔転移もなく、原発の中咽頭から首回りの転移までで収まっていました。医師からは「このステージであれば治療をやりきることで治る見込みがあります」と告げられ、安堵しました。
正直、検査結果を聞くのは怖くて仕方なかったです。確定診断が出るまでは、寝つきもよくなく満足に眠れません。朝起きて「夢じゃないんだよな」と現実を直視できないときもありました。妻もそのような私の状況を理解してくれ、さまざまなケアをしてくれました。
妻とは一緒に確定診断の検査結果を聞きに行ったのですが、私はずっとうつむいて医師を直視できないような状態です。
医師が明るい声で一言、「Hさんいい知らせです」と。遠隔転移はなかったと告げられ妻と2人で喜びました。遠隔転移の有無で今後の状況が大きく異なると説明を受けていたので、この時ばかりはとても安堵したことを覚えています。
検査結果が分かってからは有効な治療法があることを知ったので、治療をやりきろうと気持ちを切り替ることができましたね。
家族の支えは心強かった。治療に専念し、職場復帰することで恩返ししようと考えた
当時はまだ転職して1年半ほど。職場に溶け込むため、積極的に会社の飲み会や食事会に参加していました。そのため、平日はたいてい帰宅時間が遅くなり、土日は家でゆっくりすることが多かった。仕事の疲れが溜まっていたとはいえ、あまり家族サービスをできなかったように記憶しています。
そんな中でがんの告知を受けたのですが、妻の支えはありがたかったです。後日聞いた話ですが、妻は職場で私の病状を心配し涙を流したこともあったそう。辛い思いをさせている自覚はありましたが、自分はとにかく治療に集中しようと思いました。治療に専念して職場復帰すること。それが妻への一番の恩返しになると考えたからです。
私の両親は地方にいるため、なかなか力を借りることはできなかったのですが、比較的近所に住んでいた義父母にはお世話になりました。妻がどうしても手が離せない時は義父母に助けてもらうことができたので、心強かったですね。
カミングアウトしやすい職場環境。会社の福利厚生制度を使い倒すよう上司からアドバイスを受ける
職場の上司には告知を受けた当日に連絡。上司は、きちんと検査を受けてくること、治療に専念することを全面的に応援してくれました。医療関連の事業を手掛ける勤務先だったこともあり、普段からがんの話題について同僚と話し合える雰囲気がある職場でした。
職場の同僚にカミングアウトしやすいだけではなく、医療の知識を持っているメンバーも多く、医療従事者に気軽に相談することもできました。
会社の福利厚生に、メンタルヘルスカウンセリングやセカンドオピニオン予約手配サービス、治療と就労の両立支援サービスなども揃っており、上司からは福利厚生制度を使い倒すようにアドバイスを頂けたのがありがたかったです。
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告知
2017年、転職1年半の時期に咽頭がんが発覚。周囲の支えで無事職場復帰。がんに罹患した経験を治療中から積極的に発信する。「ピンチはチャンス」の言葉を胸に新たなキャリアパスを模索。