復職後は制約の中で探り探り働くも、何をどこまで働けるのか正解は見付からず
抗がん剤を服用しながらの職場復帰。探り探り仕事をしていた
11月中旬に職場復帰をしました。
手術から4か月、抗がん剤治療は4クール目に入っていました。体力的に問題ないだろうと考えて復帰をしましたが、依然として抗がん剤を服用しながらの復職だったので多少の不安はありました。どうしても抗がん剤の副作用はその日になってみないとわからないので、もし職場で吐き気を催してしまったら、下痢が我慢できなかったら、と考えると決して万全の状態ではありませんでした。
そんな私に対して産業医が告げた職場復帰の条件は、外回り禁止と残業禁止。そのルールを遵守した場合、営業職として自分には何ができるのかな、という迷いは正直ありました。実際に復帰してみてもどう貢献したらよいのか、自分の価値をどう発揮すればいいのか戸惑ったことをよく覚えています。
自分にできることとして、電話を積極的に取ったり、企画を考えたり、営業メンバーのサポートをしたり。自分でも探り探り仕事をしている感じでした。
どこまで仕事ができるのか…上司とのコミュニケーションに悩んだ
仕事面では、上司とのコミュニケーションに難しさを感じていました。
個人的には前向きに取り組みたいと思える仕事があったとしても、自信を持って上司に、やらせて下さいとは言えませんでした。
日によって副作用の出方が違うので、今日はできるけど、明日も明後日も同じようにできるかは分からない。だからと言ってできませんとも言いづらく、仕事上のコミュニケーションの取り方については悩みました。
こればかりは私だけではなく、上司も悩んでいたと思います。上司も人事から私を無理をさせないように言われているし、そういう状況下で何をどこまで任せたらよいのか、かなり迷いがあったように見えました。私の場合は脱毛もなく、元気なときは傍目から見ても復職したばかりの人には見えないような状態。とはいえ体調に関しては目に見えない部分ですから、上司も困っていたそうです。正直どう扱っていいか分からないと後日告げられました。
このような状況は、翌年1月くらいまで続きました。結果的に正解は見つかりませんでした。
下痢が怖かった。漏らしたこともあったが紙おむつは履けなかった
職場復帰後も怖かった副作用は下痢です。復職してから一年間はずっと悩み続けていました。便意のコントロールが難しかったので、食べる量も意識的に減らしていました。
もしもの時に備え、会議に同席しているメンバーには突然離席することがありますとは伝えていましたが、それ以上のことは伝えていませんでした。ですから会議の途中でもし便意におそわれてしまったら、もし我慢できなかったら、という不安はずっと抱えていました。
正直言うと、コントロールできずに失敗してしまったこともあります。頻度でいうと、月に2、3回くらい。一時は大人用の紙おむつの着用も考えました。ただ、社外に出る機会はほとんどなく、ありがたいことに何かあればすぐにトイレに駆け込める環境。紙おむつをする心理的抵抗と漏らしてしまうリスクを天秤にかけた結果、私はしないことを選びました。突然の便意が来ても数十秒は我慢できたのが大きかったです。なのでどちらかというと、仕事中よりも通勤時の方が怖かったですね。
2014年5月に転勤先の熊本で大腸がんの告知を受ける。地元の大阪と転勤先の熊本で治療を受けるか悩むも、信頼できる熊本の医師のもとでの手術を選択。罹患後の体調から営業職から内勤職へ配置転換。がん罹患経験は、家族のあり方を見直すいい機会になったとのこと。